白井貴子さん
藤沢への想いや好きなところについて
藤沢市の皆さん。お元気ですか?
2年前、高齢になる両親のプチ介護を機に藤沢に戻りました。81年デビューの時、実家を出た以来ですので34年ぶり、まさに帰郷と呼べるのかもしれません。幼い頃から父が転勤族だったので引越し〜転校生の状況が多く、実のところ若い頃まで故郷がどこかわからないような感じでした。でも「ロックの女王」と呼ばれた時代の過労を癒すように88年に移り住んだ英国で「私の故郷は日本の湘南だ」とクッキリと痛感。
藤沢の「MATTARI」というブリティッシュパブで「FIRST CRY・産声」というタイトルでファンクラブの皆さんへのライブを開催し今に至っています。何が凄いって、藤沢に帰ってくると「たかちゃん!」と周りの人たちから呼ばれること(笑)そのド・ストレートな地元の皆さんの声に 「もう私はどこにも逃げられない!」なんて冗談を言っていますが、でも、気付けば両親だけでなく同級生の友達の親も同時に年を重ねているので、小学校の頃、散々お世話になったご皆さんと共に過ごせることの喜びをひしひしと感じています。
私は「産声」というライブを開催した鵠沼の花沢町で生まれました。父が真冬に母を自転車に乗せて病院へ駆け込み生まれたんだそう。日本から遠く離れロンドンで暮らしたことで、世界各国、自分の国がなく彷徨っている人達が沢山いることを知りました。「期日を心配することなく自分が戻れる国、場所があるということは、なんと幸せなことなんだろう!」そう感動した時、「少しでもふるさとの役に立てる音楽家になろう」と決心をしたあの日。今、再び生まれた街、藤沢に戻ってくることができて本当に幸せです。
私のエネルギーの原石が息づく藤沢市のさらなる幸を祈って「ふるさとの風になりたい」を歌い続けてゆきます。
皆さん、あらためてどうぞよろしくお願いします。

<オフィシャルホームページ>

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